町(永明地区)の歴史 目次へ
No.13 永明地区の近・現代(その4)
前号に引き続いて、明治16年の農民騒動について記してみることにする。
この騒ぎのデモコースは、日によって違うが、女屋の萬福寺から江木を通り下大屋から
石山へ出て、今井に至る辺りであったようである。
この騒ぎに対して、郡役所や警察署からは係官が出張して種々対策を協議している。
集会者に説諭を加えようとしても、役人たちの姿をみると、あわてて逃げ出すという始末
であった。
12月3日には集合人民の総代を選んで戸長を交えて郡長と会見するところまで話が
進んだが、会合の時間が遅れて、人民側の代表が逃げ出したりして郡長の説諭は中止に
なったりした。
こうした中で、デモが最高潮に達したのは12月4日であった。デモ隊は、デモの途中、
沿道の人家をたたきおこして、炊き出しを命じたり、家を壊すと脅したりなかなか元気の
いいところを見せていた。
ところが、この日、郡長は人民に対して、集会条例などの法律を持ち出して教戒を加えて
いる。そのためか、騒ぎも次第におさまり、7日頃には全く平静に戻ったという。
ところで、この騒ぎのおこった明治16年は不況で、他の地域でもこの種の騒動がおこって
いる。この騒動について郡長は上司への報告の中で「烏合ノ者ニ付根拠ト為ナベキ正当ノ
理由」なしと記している。はたしてそうであったか。千人以上にも及ぶ民衆を動かした力が
なんであったか。我々の先人達の歩みをもう一度振り返ってみる必要があろう。
(『農協えいめい』1972.7.20 26号)
No.12 永明地区の近・現代(その3)へ
No.14 永明地区の近・現代(その5)へ
目次へ