町(永明地区)の歴史 目次へ
No.16 永明地区の近・現代(その7)
1905(明治38)年、中央団体として大日本産業組合中央会が設立された。本県でも
その動きに呼応して、県単位の組織の結成準備をすすめていたが、翌1906年12月18日
付をもってその設立が認可された。産業組合中央会県支会の設立は、千葉・愛知両県に
ついで3番目といわれるが、群馬支会設立の発起者の中に、野中信用組合が含まれており
、また、設立後の理事のひとりに野中の清水忠次郎(のちの木瀬村長)が選出されている
のである。
ところで前号に紹介した木瀬村における部落組合の合併は、県下においても先駆的な
ものであったが、その活動の中心となったのも野中信用組合であった。同組合は1909年
(明治42)4月に、産業組合中央会より表彰され、1915年(大正4)5月には同会会頭より
特別表彰の栄誉に輝いて、その名は全国の産業組合関係者のあいだにも知られていたの
である。
野中信用組合の歩みについては諸書に詳しいし、地元の組合でもあるので先刻ご承知
のとおりであろう。この組合の前身は清水及衛を中心とする野中の有志によって1892年
(明治25)に設立された共同積縄組合であった。その後、試作地の設置、肥料の共同購入
等の事業を経て、1899年(明治32)にいたって、農事改良と貯蓄を目的とする信用積穀
組合の設置さらに産業組合法の公布を契機として、1902年(明治35)4月に当時29歳
の清水及衛を中心とする野中信用組合が設立されたのである。
(『農協えいめい』1972.11.20 29号)
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