町(永明地区)の歴史 目次へ
No.18 永明地区の近・現代(その9)
野中町の石井貞次郎さんは明治13年生まれである。93歳になられ、大変お元気な方である。
先日お訪ねして、昔の学校のことを伺ってみた。貞次郎さんは9歳の時永明小学校へあがろうと
したが、村に大火があったために、11歳の時に入学したという。当時の学校は現在地にあり、
校舎は2階建て、屋根はささ板でふいてあり明治8年に建てたもの。大風が吹くと校舎が揺れたという。
先生は全部で8名、女の先生はいなかった。その頃野中から通っていた者は18人、そのうち女子は
3人。当時は制度がゆるやかであったので、学校へ行かなかった者もあったという。
授業時間は朝の8時頃から3時頃までで、勉強は修身・習字・読本・算術など。教科書は、風呂敷に
包んでいった。授業料は、貞次郎さんが入学した時が9銭、卒業する時が15銭だった。その頃の
米の値段は1升15銭ぐらい。酒1升が13銭。試験は木瀬村全体の統一テストだった。駒形小学校
の高坂校長が試験官で、生徒はその前で、1人ひとり本を読んだり(読本)、講釈をした(修身)という。
成績は甲乙丙丁と評価され、丁は落第だった。1クラスで5人ぐらいの者が落第したと言うから、
当時の学校は厳しかったと言うべきか。成績の良いものは後ろの席に、出来ない者は先生のすぐ前に
座らせられたということである。
貞次郎さんは、教育ほど尊いものはない、90歳になっても、子供の時に習ったことは新しく使うことが
出来るのだからと話しておられた。教育の原点ここにありか。
(『農協えいめい』1973.01.01 31号)
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