町(永明地区)の歴史 目次へ
No.19 永明地区の近・現代(その10)
明治22年2月11日に「大日本帝国憲法」が発布された。歴史の本を見ると、この日の朝、東京は
夜来の大雪であったが、市民は憲法発布の式典を祝うために、数日前からごったがえしのお祭り騒ぎ
であったとある。野中町の石井貞次郎さんのお話によると、この辺の人達も、憲法が発布になったと
いうのでえらい喜びだったという。
永明小学校では、憲法発布を祝って、学校を休んで全校生徒が校区内の神社をまわったということ
である。生徒たちは新聞紙でカブトを作って、それをかぶり、手に手に日の丸の小旗をもって各大字の
神社をまわったというのである。茶番さん(今の用務員さん)が「永明小学校」という旗(校旗であろうか)
をかついで、生徒たちは行列をつくって神社をまわって参加したのである。神社では旗を振り、万歳を
唱えてきたという。これも石井さんのお話だが、憲法発布に対する当時の村民の受け止め方がわかって
おもしろい。
憲法が発布された年に衆議院議員選挙法が公布されたが、選挙権が与えられたのは、25歳以上の
男子で、15円以上の直接国税を納めているものに限られたから有権者は全国的に見て国民の1.1%
にすぎなかった。
第一回の衆議院議員選挙は明治23年7月1日に行われたが、選挙区は今と違って県下を5つに分け、
各区定員1名であった。本区は第一区に属していた。この時当選したのは、勢多郡黒保根村下田沢
出身の新井豪であった。
(『農協えいめい』1973.02.01 32号)
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