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 No.21 永明地区の近・現代(その12)

  前号で紹介した女屋町の自彊会についてみると、同会は昭和4年に解散し、その事業は農事組合に
 引き継がれ、さらに戦後は農協支部へと引き継がれたのである。その間に、前号に紹介したような労賃
 もその内容や金額が変化したり、それらを決定する組合の時期も変化している。

  昭和初年までは3月と9月の社日に集会をして労賃の決定をしているが、その後は集会の時期が2月
 と10月あるいは1月、8月などと変化している。春の社日はその年の作物の豊穣を祈り、秋の社日は
 その成熟を祝う日とされ、この日には土を動かしてはならないとされ、仕事を休むのが例であった。

  ところで、労賃のうち便宜上田植え関係の労賃の変化を、2,3の年次を取り上げてみることにしよう。
 昭和4年の田植え(9寸角、以下同じ)の労賃は、反当たり2円80銭、昭和10年は1円36銭、昭和15
 年は3円75銭、昭和26年の場合は450円、昭和30年には反当たり700円となっている。現在(昭和
 48年)では労賃の算出方法も以前とは変わっていて、7時から18時まで昼食付きで3200円とのこと。

  昔の能率的なやり方とちがって、現在ではこのように時間給でやらないと人が集めにくいという。こんな
 小さな事にも、世情の変遷をみることができる。

                                         (『農協えいめい』1973.04.01 34号)

         No.20 永明地区の近・現代(その11)
         No.22 永明地区の近・現代(その13)

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