町(永明地区)の歴史 目次へ
No.24 永明地区の近・現代(その15)
『木瀬村誌』(岡崎誠治著)によると、下長磯に旭嶺学舎(きょくれいがくしゃ)という私塾があった
ことが記されている。本塾は田村吾山という人物(前橋あたりの人という程度しかわからない)に
よって明治36年頃に設立されたものである。同塾の開設には下長磯の栗原喜助、川島伊之吉
らの尽力が大きかったという。塾は現在の生形徳意さん宅の東あたりにあったということである。
教授内容は語学、数学、書道、漢文、兵事講習等であり、教授者は吾山先生のほかに深谷
谷吉(野中)、下田弥三郎(小島田)、関口佐十郎(下大島)らであった。修業年限は4年、塾生は
3,40名、多い時で70名余り。通学範囲は木瀬村の他、荒砥、桂萱、上陽村等、下長磯周辺の
地域であった。当時は小学校高等科を卒業したあとの教育機関として中等学校があったが、
それは一部の者のための存在にすぎず、一般の農村青年には縁が遠かった。このような状態の
なかで、同塾の果たした役割は大きかったと考えられる。
しかし、その経営も経済的に困難になったという。その存続期間は数年にすぎなかったが、ここで
学んだ青年たちの中には、後にそれぞれの地域の中堅幹部として活躍したという。現在下長磯の
栗原清宅(喜助の子孫)には、旭嶺学舎で使用した教科書の一部が残されているという。なお、
大正11年4月の上毛新聞に、同年4月23日に下長磯の栗原宅で田村吾山7年祭が門人達の手で
行われる予定との記事がある。吾山先生の徳がしのばれるのである。
(『農協えいめい』1973.08.01 37号)
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