町(永明地区)の歴史 目次へ
No.25 永明地区の近・現代(その16)
大正12年6月3日付けの上毛新聞に「時代的に目覚めてきた勢多農村婦人」という見出しで
南橘村と下川淵村の主婦の会とともに永明母の会のことが紹介されている。この会がいつ、
どんな目的で設立されたかはわからないが、この記事の中に「勢多郡の婦人たちは処女会の
活動に刺激された訳ではあるまいが、最近可成目立った活動を示すに至った」とある。各大字
に処女会が設立されたのは大正7,8年の頃といわれ、木瀬連合処女会が設立されたのは
大正9年のことである。これらのことから考えてみると、この「母の会」が設立されたのは、大正
10年前後のことであろうか。
上毛新聞によると、永明母の会の活躍ぶりをつぎのように報じている。
永明母の会は児童の出席向上のために児童通学には極力の便宜を与えると共に、児童の
成績如何は家庭教育の如何に大いなる関係あると認め、家庭教育を重大視して相当の
施設を設けて之を督励する一面、児童の健康も家庭に於ける注意より変化するものである
として、これらに細心の注意を払って、第二の国民の健全な発達に努力(以下略)。
この他に同会では、家庭経済の面においても消費の節約等に努めていたという。
この母の会の活動については、もっと知りたい面もあるが、今から50年も前に、本地区の
農村婦人の社会活動のひとつとして、大正デモクラシーという時代の背景を考えながら、注目し
たいことである。
(『農協えいめい』1973.09.01 38号)
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