町(永明地区)の歴史                    目次へ


 No.29 永明地区の近・現代(その20)

  今回は駐在所のことを記してみよう。明治維新によって、警察制度が設けられたのは
 1873年(明治6年)のことであった。前橋にも同年に現在の警察に当たる区庁というの
 が設置された。

  ところで当地区に駐在所が設置されたのはいつであろうか。その前身として明治10年
 2月に伊勢崎署の管轄下に駒形分署が設置されている。明治16年に新警察区画が実施
 されて、前橋警察署直轄の巡査派出所が駒形に設置された。同時天川巡査派出所が
 天川大島の川辺に設置されている。

  町村制が実施された1889年(明治22年)の翌年に駐在所の制度が実施されて、旧
 木瀬村では小屋原・駒形・上長磯の三カ所に巡査駐在所が設置され、それぞれ受け持ち
 区域を分担して治安維持の任にあたっていた。警察区画は明治時代から何回も改編さ
 れている。受け持ち区域は、小屋原駐在所(明治22年〜34年の間は、下増田に駐在所
 があった)が小屋原・上増田・下増田・笂井・小島田、駒形が駒形・下大島・天川大島、
 上長磯が上長磯・下長磯・野中・上大島・女屋・東上野であった。その後、交通事情の
 変化により、上長磯駐在所は、交通の便の良い野中地内の国有地に移転した。時に
 昭和35年3月21日のことであった。

  駐在所の警察官は昔から「カンクさん」とよばれ、一面で恐れられながら地域住民の中
 に入って親しまれてきた。かつて親が子供を叱るとき、「カンクさんにいいつけるぞ」と言
 って、子供のしつけに、カンクさんの権威を利用したものだ。今の親たちはどうしているの
 だろうか。最近はカンクさんのサーベル姿を知らない世代がだんだん多くなってきている
 のである。


                                   (『農協えいめい』1974.4.14 42号)
                                                  (終刊号)

         No.28 永明地区の近・現代(その19)

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