町(永明地区)の歴史                    目次へ


 No.7 永明地区の近世(その2)

   江戸時代の初めの頃の、勢多郡の有力支配者は、平岩氏牧野氏であった。
  平岩氏は前橋に、牧野氏は大胡に城を構えていた。『勢多郡誌』によると、永明
  地区の村で、当時平岩氏の支配下にあったのは、野中・東上野・天川大島・
  上大島・上長磯・下長磯・女屋であり、牧野氏の支配下にあったのは小島田であった。

   平岩氏が甲州へ、牧野氏が越後へ去ってからは、この辺は前橋藩主に任ぜら
  れた酒井氏の支配下になっている。酒井氏は慶長6年(1601年)から寛延2年
  (1749年)までの150年間前橋城主として、この地方の支配にあたった。

   酒井氏が姫路に移ってから前橋藩主になったのが松平氏で、明治維新までこの
  地方を支配した。永明地区は酒井氏以来、前橋藩以外の支配を受けたことはなか
  ったのである。

   永明地区の中で、駒形の成り立ちは一番遅かった様で、寛文4年(1664年)の
  酒井氏知行目録にも、元禄郷帳にも、村としては載っていない。松平氏の記録に
  「駒方」として出てくるが、集落としての誕生は江戸時代の初期である。

   『上野鑑郡村記』という江戸時代の初めの頃の書物によると、永明地区の村の
  石高(こくだか)は次の様に記されている。

   小島田−185石707   女屋−142石500   長磯−866石700
   上野 − 238石600  野中− 448石100  大島−921石200
   
   この後の元禄郷帳には、長磯が上と下、大島が上、下、天川 の3大島に分かれ
  出ている

                               (『農協えいめい』1972.1.20 20号)

         No.6 永明地区の近世(その1)
         No.8 永明地区の近世(その3)

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