町(永明地区)の歴史 目次へ
No.8 永明地区の近世(その3)
『前橋風土記』は、貞享元年(1684年)に時の前橋藩主酒井忠明(忠挙)が、
その儒臣古市剛に命じてつくらせた地誌である。数年前に、北橘村の今井善一郎
氏の詳細な解説付きで、群馬県史料集の一冊として発刊された。
本書は江戸時代のはじめのころの、この地方の様子を知る上での貴重な資料で
ある。この中には永明地区の村として、野中村、大島村、上野村、長磯村、女屋村、
小島田村の6カ村の名が記されている。駅路の項に、駒形が「沼田に至るの駅路」
のひとつとして記されている。
この他には橋の項に、駒形の清内橋(広瀬川にかかる)、下大島の大橋、下増田
の増田大橋、小屋原の上橋と五科道橋、女屋の牛橋と道玄橋(ともに寺沢川にかか
る)の7つの橋が記されている。とくに牛橋については「吾妻郡の道路也。長さ二十
有四丈。相云う。昔頼朝此橋を過ぐ。牛橋上に臥す。因て以て橋に名づく」とある。
吾妻郡の道路というのは、ここに東街道が通っていたので、それを間違って記した
のではなかろうか。
ともあれ、江戸時代の初めに既に牛橋のような伝承があったと云うことは、東街道
という古い街道の存在と、そこを通過して、伝承の種子をまいていった伝承者の存在
を暗示しているものといえよう。この牛橋の東に、東街道に沿って小島田に一本杉が
あり、そこに頼朝(あるいは義経)の休んだという伝説があった。今は、昔の牛橋も、
一本杉もない。なお、小島田と笂井に八日市という地名があるが、これもあるいは、
中世期の市場の存在を示しているのではなかろうか。
(『農協えいめい』1972.2.20 21号)
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