町(永明地区)の歴史 目次へ
No.9 永明地区の近世(その4)
『勢多郡誌』は、小島田と東上野の「銘細帳」を収録している。「銘細帳」は村勢
一覧といった内容のもので、村役人の名で支配者に提出したものである。小島田
のは天保11年(1840)、東上野のは寛延2年(1749)のものである。
小島田の「銘細帳」の一部を紹介してみよう。ここには、四間×二間の郷蔵(ごうぐら)
があったこと、まゆ糸は前橋市場へ売り出していたこと、田の肥やしは大豆、馬草、
畑の肥やしは、馬草と麦わらであったこと、木綿を少し作っていたこと、定使いがいて
村から給料を出していたこと、当時の家数は37軒、人口は135人であったこと、
馬が8頭いたことなどが記されている。
東上野の場合をみると、小島田と同じ規模の郷蔵があり、お蔵番は村中交代で
つとめていたこと、まゆは、あたった年には20貫(注記1)ほど糸にして、前橋市場へ
売り出していたこと、定使い(じょうつかい:注記2)もいたこと、家数は33軒、人口は
148人であったこと、馬が20頭いたこと、山伏が2人いたことなどが記されている。
小生所蔵の天明2年(1782)と思われる前橋藩領の村銘細帳を集約したとみられる
文書によると、永明地区の戸口は次の通りである。野中−62軒、265人。
天川大島−29軒、106人。上大島−63軒、292人。駒形新田−118軒、461人。
女屋−44軒、151人。上長磯−65軒、265人。小島田−43軒、162人。
下長磯−76軒、295人。
(『農協えいめい』1972.3.20 22号)
注記1: 1貫(かん)=3.75kg。20貫で75kg。 (HP管理人記す)
注記2: 村じゅうに区長の指示を伝える役目の人。 (HP管理人記す)
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