浄土院
寺院 (木瀬村誌より)*注 と有るのは記者追記
浄土院(上大島)
○明治十二年(1879)「寺院明細帳」より
群馬縣管下上野國南勢多郡上大嶋村字長磯前
同國同郡龍藏寺村龍藏寺末
天台宗 浄土院
1. 本尊 明治八年二月二日焼失ス(本来はここに仏像名が入る)
1. 由緒 不詳 明治八年二月二日 本堂庫裏トモ焼失之処 明治十四年四月十六日
本堂庫裏再興ス
1. 本堂 間口五間、奥行三間半 「追記 桁行六間半 梁間五間 昭和六年八月八日改築許可
昭和六年十二月七日竣工届出」
1. 庫裏 間口四間、奥行三間
1. 境内 四百七拾三坪 官有地(*注。政府の所有地)
1. 境外所有地 耕地 弐町四反七畝 地價金千二百八拾九円七拾壱銭四厘
林 四反八畝壱八歩 地價 記述無し
畑 壱反壱畝五歩 地價 記述無し
1. 檀徒 四百五拾人
1. 管轄廳迄距離 壱里十五町
以上
(追記) 畑 四畝拾三歩 同村長磯前 地價金弐円六拾二銭五厘
○明治十年 「村誌」より
天台宗浄土院東西廿間四尺南北廿間面積一反五畝廿三歩上野國勢多郡龍藏寺村天台宗龍藏寺ノ末寺ナリ
本村ノ巳ノ方ニ在リ享保年中本堂并ニ旧記焼失明治八年二月二日再ヒ焼失開闢由緒分明ナラス
観音堂東西十一間五尺五寸南北八間面積三畝五歩本村ノ巳ノ方ニ在リ
○「由緒沿革書」 より
光明山浄土院長福寺創建寛永年間開基快円法印享保年間火災ニ罹リ旧記録焼失明治八年二月二日再ヒ焼失
現在ノ建物ハ昭和六年当山廿五世祐玉再建由緒不明ナリ
以上
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** 以下参考 **
庫裏(くり)とは:寺院の僧侶の居住する場所、また寺内の時食を調える、つまり台所も兼ねる場合がある。なお現代では、その多くは僧侶の居住する場所をいうことが多い。庫裏は大規模寺院では独立した建物であるが、一般寺院では寺の事務を扱う寺務所と兼用となっていることが多い。一般の民家とよく似た建物も多い。歴史ある寺院では、文化財に指定されているものもある。禅宗の寺院では、伽藍の守護として韋駄天が祀られていることがある。
享保年間とは:1716年〜1735年
(*注:Wikipediaより)
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