2 古墳時代の永明地区

弥生時代のあとが古墳時代である。古墳というのは三世紀のころから八世紀のころにかけてつくられた豪族の墳墓のことであるから、古墳のあるところは豪族の勢力範囲であったということになる。

現在の皇室の先祖である大和朝廷が日本の国土を統一したのも、この古墳時代のはじめのころ(四世紀なかば)といわれている。

ところで、永明地区にどのくらいの古墳があったかというと、昭和十年の調査によると九基あったことになっている。東上野に三基、女屋に一基(ほかに七基あったともいう)、小島田に五基あったとある。永明地区の古墳の所在地は、上泉古墳群の中間に位置し、いずれも旧利根川の左岸の台地上に点在している。

九基のうち東上野にある一基が前方後円墳(双子山と同じかたち)であとの八基は円墳である。『前橋史』の説明によると、これらの古墳の形式や出土品から判断すると大体七世紀前半(今から約千三百年ほど前)ごろの中間支配層がこのあたりにいたと考えられるという。

この時代に使われた土器は土師器(はじき)と須恵器(すえき)と言うが、土師器がややまとまって女屋の寺沢川と桃木川の合流点付近から出土している。

赤茶色をしたのが土師器、灰色をしたのが須恵器。そんな色ををした土器片が畑に散布しているのを見かけた方も多いと思う。古墳や土器を通して千二、三百年前の先祖の面影を偲んで頂きたいものである。

(『農協えいめい』1971.7.20 15号)