5 永明地区の中世(その2)

永明地区に現存する石造遺物については、前橋市史編さん事業の中で調査が進められ、いくつかの資料も発見されている。今まで上毛金石文年表や、『勢多郡誌』などにも記され、本市だけでなく県下においても中世の金石資料の中では2番目に古いとされているのが小島田町字大門跡にある阿弥陀像である。

これは高さが124cmの将棋の駒の形をしている石に、阿弥陀様の坐象を半肉彫りにしたもので、像の下には銘文が刻まれている。それによると、仁治元年(1240年)12月17日に、橘清重という人が、幼くして亡くなった子供の霊魂の成仏を願って建てたことがわかる。

この頃は、日本史のほうでは、鎌倉時代の初めの頃にあたる執権北条泰時の時代である。ところで橘清重という人物については史料が無いのではっきりしない。

小島田での伝承によると、チョウメンジというお寺があり、その大門にあたるところにこの阿弥陀様があるのだという。地名も大門跡である。この寺は上杉・武田の合戦の時に、上杉方から倍の大きさにしてやるからと騙されて焼かれてしまったという。

現在はハレモノの神様として信仰されているが、かつてはこの地にかなりの寺院があり、その一角にこの地にゆかりのある有力者によって、この阿弥陀仏が建てられたものといえよう。この他に、小島田、上大島、東上野、女屋にも、中世の歴史を示す石碑類が残されている。

                           (『農協えいめい』1971.10.20 18号)

No.4 永明地区の中世(その1)
No.6 永明地区の近世(その1)

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