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二十三夜塔にじゅうさんやとう)

    観音堂入り口の道路の反対側に次に紹介する二十二夜塔と共に建立されているのが、
   月待塔のひとつである二十三夜塔です。月待とは「月待行事」のことで、十五夜・十六夜・
   十九夜・二十二夜・二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、
   飲食を共にした後、「教典」などを唱えて「月」を拝み、「悪霊」を追い払うという宗教行事です。

   江戸時代の文化・文政の頃、全国的に流行しました。特に普及したのが、二十三夜に集まる
   二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々が建てた「二十三夜塔」が全国の路傍などに
   広く見られます。    (Wikipedia参照)

二十二夜塔にじゅうにやとう)

    隣接する二十二夜塔は、二十二日(月齢で)の夜に女性が月待ちをすれば、願い事が
   叶うという信仰がありました。二十二日の月待ちは、女性講と言い会員は出産年齢にある
   ことが原則で、妊婦のいる家では、講の引き受け宿でお茶菓子などを振る舞います。
   
    如意輪観音に灯したローソクを途中で消して、そのローソクを取って置き、妊婦の家に
   配った。妊婦が産気づいた時、そのローソクを灯して燃え尽きないうちに安らかに子供が
   生まれる・・・と信じられていました。

    「女人講」とは、信仰的な要素がありますが、その地域での「隣保班」または女性グループ
   の「親睦会」等、「お茶のみ会」的な場所でもあった様です。

   (写真をクリックしますと拡大します)

二十二・二十三夜塔北面   二十二・二十三夜塔南面
(奥が百番観音堂)
 二十二夜塔  二十三夜塔
 二十二夜塔台座に「女人講中」と刻印 二十三夜塔台座に「講中」 と刻印
 二十二夜塔・観音様名?  二十三夜塔・思惟観音

百番供養塔ひゃくばんくようとう)

    二十二夜塔の隣に安置されているのが「百番供養塔」で、塔の側面に享和三年(癸亥)
   とありますので西暦に直しますと1803年となり、本年2010年から遡る事、207年前に
   建立されたことになります。

    この供養塔に願いをかける際、小石を握って台座を叩きながら願い事を唱えたため、
   台座には叩いてへこんだ穴が沢山あります。後年では子供たちがその穴にヨモギ(草餅)
   の葉を置いて叩いて遊んだそうです。

 百番供養塔全景  百番供養塔拡大

 刻印:享和三癸亥年 小石で叩かれへこんだ穴 。安産を祈願し
て小石で叩いたそうです。

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